2019年03月06日

被災地のいまとそこで生きる人々~映画に見る社会⑧『生きる街』

映画に見る社会 話題の映画から現代社会をウォッチング written
by 塩こーじ


【1】
 昨年、夏の休みを利用して仙台から石巻、釜石と三陸の海沿いを車で走りました。

 東北もむかしツアー添乗員をしていたころはよく来ていましたが、最近はご無沙汰でした。

 添乗の仕事を辞めるきっかけのひとつが、2011年の東日本大震災でした。

 3月に発生したため、ちょうど東北の桜の開花時期に重なってしまい、花見のツアーもほとんどが中止。添乗の仕事も大幅に減ってしまいました。

 仕事もなく、じっと家にこもって震災の報道を見ている日々、仕事で何度も訪れた土地が甚大な被害を受けている様子に心が痛みました。

白い砂浜が魅力だった浄土ヶ浜は津波のゴミに覆われてしまい、ボランティアの人たちが手作業でゴミを取り除いているとニュースで聞いて、居ても立っても居られないような気持ちになりました。

震災から一月後、ボランティアに参加。僕が行った仙台は、被害はそれほど大きくなかったということでしたが、それでも津波に襲われた海沿いの地域は、田んぼは瓦礫だらけ、家の中は家財道具がめちゃくちゃという状況でした。

一人の人間がボランティアをしたくらいではこの状況は何も変わらない、そんな無力感を感じながらおよそ5日ばかり、津波のあとの土砂を片づけていました。

 昨年夏、久しぶりに東北の地を訪れて、あのときのどうにも頼りなかった気持ちを思い出しました。

 今回は震災後の石巻を舞台にした『生きる街』という作品を紹介します。

【2】
 冒頭、カメラが上空から海沿いの被災地をとらえます。大きなクレーン車が行きかい、大規模な工事現場そのものです。

 映画は震災から5年後という設定なので、おそらく現在からほぼ3年前の風景でしょう。昨年ぼくが現地をまわったときは、もう少し落ち着いていた印象でした。

 夏木マリさん演じる映画の主人公は震災後も石巻に残り、使われなくなった別荘を譲り受けて民泊施設をいとなんでいます。

彼女の娘と息子は、遠く離れた名古屋でそれぞれ別々に暮らしています。その地で出会う被災者のあいだでは「震災のときどうしてた話」があいさつがわりになっているようです。

津波に襲われた組、家族を亡くした組、震災を引きずっている派。被災者のなかにも微妙な温度差があることが分かってきます。

【3】
東北を離れても震災の傷が癒えない息子や娘たちにくらべると、被災地に残った主人公のほうが明るく生きているように見えます。

ツィッター上で積極に情報発信し、遠方から来た泊まり客たちに新鮮な魚料理をふるまいます。多くの命を奪った海はまた、われわれに豊かな海の幸を与えてくれるのです。鳴き砂が名物の石巻の浜は、多くの外人観光客も訪れるようです。

一見、震災の影はうかがえない主人公ですが、彼女も津波で夫を失っており、真夜中の闇の中でたびたびフラッシュバックに襲われます。

この映画、観ているとはじめのうちは画面の暗さがちょっと気になるのですが、もしかしたらこの暗さこそ、電気も満足に供給されなかった震災当時のリアルだったのかもしれないと思い当たり、それからは気にならなくなりました。

「テレビは押し寄せてくるようでラジオが好きになった」とつぶやく主人公。押し寄せるのは津波の映像なのか、それとも被災地に集まるマスコミ陣なのでしょうか。

震災後の石巻を描いた『生きる街』。あえて悲劇性を強調しない静かな作品でした。

【4】
 3.11直後は震災を描いた作品、とくにエンターティメント系のものは不謹慎といわれ、震災から微妙に距離をおいていたような印象があります。

たしかに当時、クリエイターたちはあの現実を前に「自分たちが創るものはいったいなんの役に立つのだろう」と自問自答したでしょう。

でもあれだけの出来事が人々の生き方や創作物を変えないはずがありません。その後,震災をテーマに多くの優れた作品が発表されています。『生きる街』もそのひとつでしょう。

 主演した夏木マリさん自身も被災地に深く関わっていて、この映画ができあがるきっかけになったということです。震災をきっかけに、みなが少しずつ自分の人生について考え、生き方を変えています。

僕自身も震災後は、片道1時間以上かけて通勤する日々をやめ、地元を仕事の場に選ぶようになりました。必ずしも地元で働くことだけが正しいとは思いませんが、自分の足元を大切にしながら生きることの大切さが、あの震災で少しわかったような気がします。

--

かりるーむ株式会社(cariroom)
TEL090-8487-4851(鈴木)
TOP http://cari.jp/
空室一覧 http://cari.jp/room/
記事一覧 http://cari.blog.enjoy.jp/
検索ランキング http://hp1.boy.jp/counter/

  

Posted by cari.jp at 11:24

2018年12月22日

映画に見る社会⑥『ボヘミアン・ラプソディ』

【1】
 今回はこのコーナー初の外国作品を取り上げましょう。

ロックバンド「クイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーの半生を描いて現在大ヒット中の『ボヘミアン・ラプソディ』です。

日本の社会問題とあまり関係のない内容になるかもしれませんが、たまにはお許しください。封切りからだいぶたったのでいつものように多少ネタバレします。

クイーンというバンドについて説明の必要はないかもしれませんが、1970年代から80年代にかけて活躍した英国のバンドです。
ヒット曲は本作のタイトルにもなった「ボヘミアン・ラプソディ」をはじめ、「レディオ・ガガ」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」「伝説のチャンピオン」など多数。
ボーカルのフレディ・マーキュリーはエイズにより1991年に世を去りました。まだ45歳の若さでした。

【2】
映画ではフレディがクイーンの前身バンドに加入し、紆余曲折の末に1985年、アフリカの飢餓救済コンサート『ライブエイド』の世界的なステージに立つまでを描きます。

 その半生はまさにエピソードのてんこ盛り。
アマチュア時代、ポンコツ車を売ってデビューアルバム制作の資金をつくり、斬新なサウンドが注目されて順風満帆でスターダムにのし上がります。

 金と名声を手にするものの、所属レコード会社はさらに前作以上のヒットを要求、フレディたちは「同じ手法は繰り返さない」とオペラの要素を取り入れた『ボヘミアン・ラプソディ』を製作。しかし発表当初は「ロックの定義からはずれている」などの批判を浴び、なかなか受け入れられなかったようです。

その後もクイーンは数々の作を発表、フレディもカリスマ街道をまっしぐらに爆進します。

華やかなパーティの陰の孤独、妻やボーイフレンドたちとの愛や友情、ゲイとしての迫害やメンバーとの対立、そしてもちろん興奮のライブシーン……ヒット曲にのせて怒涛のエピソードが押し寄せ、エンターティメントの底力を見せつけられます。

クライマックスを飾るのは1985年のライブエイド会場。
上空から降りてきたカメラが群衆の頭上をすり抜けてステージ上のフレディたちに接近、CGだろうと思っていてもめまいを感じるような迫力です。

大観衆を目の前で死の病におかされながら、フレディはどんな境地で歌っていたのでしょう。

ふだん洋楽を聴くときはほとんど歌詞など無視しているのですが、このステージで歌われる一連のナンバーは、まさにフレディの死を暗示するようです。嵐の海のように揺れる客席とステージ上のバンドが一体となって合唱する「ウィ・アー・ザ・チャンピオン」。もはや神の領域です。

 そしてフレディはエイズと闘いながら1991年に45歳で息を引き取ります。

【3】
本作のフレディ・マーキュリーのように、これまで多くのミュージシャンの生涯が映画化されました。
ちょっと思い出すだけでも『ドアーズ』のジム・モリソン、『ラ・バンバ』のリッチー・ヴァレンス、ジェームス・ブラウンやローリングストーンズのギタリストだったブライアン・ジョーンズ、ジョイ・ディヴィジョンのボーカリスト、イアン・カーティスなど、そうそうたる顔ぶれです。

もはや世を去り、レジェンドとなった人たちばかりですが、彼らの人生はとにかくドラマティックで、まさに映画の題材向きといえます。

死者はとかく美化されやすいもの。『ボヘミアン・ラプソディ』も多少の脚色はあるでしょう。フレディ・マーキュリーの実人生というより、あくまで一篇の映画として楽しんだほうがよさそうです。

 また社会問題の部分では、当時どれだけ性的マイノリティが迫害されていたかが伝わってきます。作品をとおし、フレディの選択したゲイという生きかたが、現在の人々に問われているようにも感じます。

久しぶりに映画のパワーを堪能した『ボヘミアン・ラプソディ』。オーソドックスに作られた正統派の娯楽大作、王道中の王道で、そこが大ヒットの要因かもしれません。

やはりシンプルなものが大勢の人の心を感動させるのでしょう。

--

映画に見る社会 話題の映画から現代社会をウォッチング
ゴッド・セイブ・ザ・ドラッグクイーン!~映画に見る社会『ボヘミアン・ラプソディ』
written by 塩こーじ

かりるーむ株式会社(cariroom)
TEL090-8487-4851(鈴木)
TOP http://cari.jp/
空室一覧 http://cari.jp/room/
記事一覧 http://cari.blog.enjoy.jp/
検索ランキング http://hp1.boy.jp/counter/

  

Posted by cari.jp at 12:17

2018年11月10日

静かな日常にひそむ悪意~映画に見る社会⑤『バッシング』

【またも起きた海外人質事件】

シリアで長期間にわたり拘束されていたフリージャーナリストが解放され、このほど帰国しました。しかし国内では自己責任論のもとに激しい批判が起きているようです。

 このニュースを聞いて小林政広監督の映画『バッシング』を思い出しました。

2005年に製作されたこの作品は、前年に発生したイラク人質事件がモデルとなっています。第6回東京フィルメックス最優秀作品賞・グランプリを受賞、第58回カンヌ映画祭にも出品されるなど高い評価を受けました。

【突然の解雇から始まる物語】
 冒頭、ホテルでベッドメイクの仕事を手慣れた手つきで淡々と進める主人公・高井有子。熱心に働く彼女が突如上司から解雇を言い渡されるところから映画は始まります。

その後、突然道ばたで男たちに囲まれ、コンビニで買ったおでんを路上にぶちまけられてしまいます。

彼女には海外の危険な紛争地域へボランティアに出かけ、武装集団に拘束された過去があります。さいわい無事に解放され帰国しますが、そこには自己責任を問う人々のすさまじいバッシングが待っていました。

世間の誹謗中傷から逃れ、静かな生活を守ろうとする有子とその両親。三人を取りまく日常を中心にストーリーは進みます。

【すさまじいバッシングの実態】
彼女が両親とささやかな暮らしを送る団地の一室にも嫌がらせの電話がかかってきます。「自己責任という言葉を認識しろ」「殺されて帰ってくればよかった」等々……。彼女はたまりかね、窓から電話機を投げ捨てます。その行為は、世間とのかかわりを断つことを暗示しているようです。

主人公の有子を演じる占部房子は抑えた演技ですが、その目は理不尽な世間へ激しい憎悪をたぎらせています。

 海べりに建つ古い団地。厳しい自然を感じさせる北の風景。頭上を覆うどんよりとした曇り空は、有子たちを覆う不穏な空気をあらわしているようです。

【広がる波紋】
世間からのバッシングを避け、家にこもりがちになった有子は「私のしたことってそんなに悪いこと?」と母親に訴えます。

 父親は解体工場で働いていますが、ここにも苦情の電話やメールが殺到し、上司から遠まわりに辞職を勧められます。

「娘は被害者なのにどうして責められなければならないのか」訴える父親が悲痛です。

 久しぶりに会う恋人からも、自分のことしか考えていないと有子は責められます。市役所勤めの恋人は「国じゅうのみんなに迷惑をかけた。なぜ関係のない国に施しをしなければならないんだ」と彼女に詰め寄ります。

 恋人の意見はそのまま世間の見方を代表していて、つまり恋人もバッシングする人たちの側なのです。「みんな」という幻想、「国」という幻想を疑うこともなく彼は日々を過ごしているのです。

そんな彼氏に「同じ日本語をしゃべっているとは思えない」と有子は反抗し、二人は疎遠になっていきます。

結婚し、平和な家庭におさまった友人たちからは「あなたは私たちと世界がちがう。私たちにはできないことをしていて立派だ」と言われます。その口ぶりは尊敬しているようで何ひとつ有子の思いを理解していません。

 しだいに孤立を深めていく有子の一家。そして頼れるはずの家族もついに……

【他人事ではないバッシング】

ネット上での何気ない不用意な発言が炎上するなど、有名無名を問わずバッシングは僕らの身にいつ降りかかるとも分かりません。

一度スケープゴートとして血祭りにあげられてしまったら、その当事者にできることは、時間が経過し世間が忘れてくれるのを待つことだけです。

『バッシング』で職場を追われた父親は酒におぼれながら「つらいからなあ、待つっていうのは」とつぶやきます。

 重みを背負ったままひたすら耐え忍び、やり過ごすしかない、人生にはときにそんな時期もあるのかもしれません。

同じような進展のない日々が繰り返され、悶々とした日常の中で有子は海の向こうに思いをはせます。そこには彼女がボランティアとして汗を流し、初めて「他人から必要とされる」経験をした異国があります。

最後に彼女が選んだ決断は……。

クライマックス、母に決意を告げる有子は、それまで暗い色の服装が多かったのに一転して白いセーターを着ています。彼女の純粋な気持ちが、その色に表現されているようです。

【地味だがクセになる小林政広作品】
『バッシング』の上映時間は1時間半。それほど長くありませんが終始一貫して重々しいムードが漂っています。

ドラマチックな見せ場はほとんどなく、セリフも少なくて非常に地味ですが、それがかえって何の変哲もない日常にひそんでいる無数の悪意を想像させ、効果を上げている気がします。

高齢者や認知症の問題を描いた『春との旅』『海辺のリア』をはじめ、小林政広の作品はどれも地味な描き方で、やや忍耐が必要とされるかもしれません。

けれど観ているうちに映画の中を流れる時間としだいに同化してしまい、自分が登場人物たちと同じ空間にいるような気持ちにさえなってきます。人によっては病みつきになるかもしれません。

【キリストの残した言葉】
イラクの事件でも今回の場合でも、被害者は人質となった心の傷に加え、無事帰国できても世間から叩かれ、二重の苦しみを受けなければなりません

 今回解放されたフリージャーナリストは「拘留生活は地獄だった」と語っていますが、帰国しても別の地獄が待っているように思います。

 たしかに彼らにも軽率な面や判断ミスがあったかもしれません。でも、生きていて一度も間違いをおかさない人間が存在するでしょうか。

「罪を犯したことのない者だけが石を投げよ」という言葉があるそうです。不貞を犯した女を石打ちの刑をしようとする人々にキリストが言ったという聖書のエピソードです。

バッシングという言葉の石つぶてを投げる前に、僕たちは自分自身をかえりみる必要があるかもしれません。

--

映画に見る社会⑤『バッシング』 話題の映画から現代社会をウォッチング

written by 塩こーじ

かりるーむ株式会社(cariroom)
TEL090-8487-4851(鈴木)
TOP http://cari.jp/
空室一覧 http://cari.jp/room/
記事一覧 http://cari.blog.enjoy.jp/
検索ランキング http://hp1.boy.jp/counter/

  

Posted by cari.jp at 14:56

2018年10月28日

仕事も家庭も恋人も大事?~映画に見る社会 ミッドナイト・バス

話題の映画から現代社会をウォッチング written by
塩こーじ

【添乗員のほっとするひととき】
 いきなり個人的な話ですが、ぼくはライター業を始める前、旅行会社で添乗員をしていた時期があります。
 といっても海外を股にかけて華々しく飛びまわるわけではなく、安・近・短の日帰りバスツアーや温泉一泊みたいな旅行ばかりでしたが、新潟の花火大会だとか秋田の竿灯(かんとう)、秩父祭りのような夜祭り見物のツアーもよく同行しました。
 たいていは日帰りツアーなので、お祭りが終わったらそのままバスに乗り込んで、深夜の高速道路をひた走って帰途につくのです。お祭り会場を出発したバスはすぐに消灯し、お客も旅の疲れでみんな寝静まってしまいます。真っ暗な車内で窓の外の夜景を眺めながらiPodで音楽を聴いていたのが、ハードな仕事の中でつかの間の息抜きだったような記憶があります。

 映画『ミッドナイト・バス』を観ていたら、そんな添乗員だったころを思い出しました。

【主人公は新潟の長距離バスの運転手】
 伊吹有喜の長編小説を原作とするこの映画の主人公は、東京と新潟を結ぶ長距離高速バスの運転手。池袋の駅前と新潟とを関越道でひと晩かけて往復するのが彼の仕事です。
 地元の新潟には別れた妻とのあいだにできた息子と娘、東京にも順調に交際中の彼女がいます。
 新潟から池袋に着いて業務が終わると彼女がいとなむ小料理屋に寄り、そのままお泊まりしたりする、静かで穏やかな関係が続いています。そのときだけは離婚の痛手や生活の重みから、つかの間解放されるのです。

 映画では主人公の運転手を、最近は芸人だけでなく役者の仕事も多い原田泰造、その恋人を小西真奈美が演じています。

【トンネルをはさんだ二重生活】
 関越道の途中、群馬と新潟の境には関越トンネルがあります。全長11キロの長いトンネルで、このトンネルをくぐると太平洋側と日本海側でがらりと天候が変わったりするのを、僕も添乗員時代よく経験しました。
 県境のトンネルといえば川端康成の『雪国』です。「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪だった」という出だしが有名ですが、関東は晴れていても関越トンネルを抜けたら大吹雪みたいなことがよくありました。
 『ミッドナイト・バス』の主人公の場合はトンネルをくぐると、まるでお天気が変わるように父親からひとりの男に変身したり、逆にひとりの男から父親へと戻ったりするのです。

 

【現代人は誰もがいくつもの顔を持っている】

 この映画のポイントは主人公の二重生活ぶりにあるといえそうです。

 二重生活と聞くと「表の顔とウラの顔を使い分ける犯罪者」みたいなサスペンスっぽい展開を連想しがちです。でも『ミッドナイト・バス』の主人公はひたすら心優しく、東京と新潟を往復しながら恋人と子供たちのあいだで揺れ動きます。

 仕事が見つからない息子やご当地アイドルの活動に夢中の娘を案じる一方で、東京の恋人との関係も大事にしたい。そこへ別れた妻までも現われて……


 この映画の主人公だけでなく、現代では誰もが多かれ少なかれ二重生活を送っているといえます。二重人格を上手に使い分けないと、複雑な世の中を生きていけません。家庭の顔、会社での顔をマスクのように付けかえて、どうにか日々を暮らしているのです。

 映画の主人公の場合は東京と新潟。普通のサラリーマンだったら通勤電車で一、二時間の距離。
両者は一見まるで違って見えますが、やっていることは似たようなものでしょう。僕たちはそれぞれの場において別々の仮面をかぶり、異なる人格を演じているのです。

【新潟をPRする地域映画】
 この映画はまた、新潟のPR的な役割も大きく果たしています。

 佐渡ヶ島や笹だんごなど、新潟の名所や名物がさりげなくスクリーンに登場します。主人公の家は玄関が二重になった雪国独特の構造です。

 東京での場面のほとんどが、恋人が切り盛りする路地裏の小料理屋なのに対し、新潟では物語の背景にはビルが立ち並び、むしろ東京より都会的な印象すら感じられます。
 新潟のPR映画として、発展する地方都市という一面をアピールしているのかもしれません。もちろん自然豊かな雪景色も描かれます。

 最近は映画で地域をPRする動きが強まり、地元の観光名所をロケに使い、名物が登場する作品も多くつくられています。映画がヒットすれば観光客が増えるのはもちろん、地域のイメージアップにも大きく貢献します。作品のファンが「聖地巡り」するのも流行っていて、地元への集客に大きな役割を果たしています。

 ただし『ミッドナイト・バス』は、都会からのUターンや実家の整理、高齢者問題といった地方が抱える現実も織り込み、作品に陰影を与えています。

 映画はとてもていねいに、真面目につくられている印象です。主演の原田泰造もシリアスな役柄を好演していますが、それだけにセリフまわしや芝居のテンポが重々しく、上映時間2時間半は個人的にちょっとしんどかったです。また小説を読んでいないと人間関係がわかりにくいかもしれません。

【味わい深い原作も一読を】
 伊吹有喜の原作は第151回直木賞の候補にもなりました。家族のつながりや父親の思いを切々と描いた作風は、やはり『ビタミンF』で直木賞を受賞した重松清と共通したものを感じます。

“夜明けの前の薄闇を走っていると、これまでの人生を振り返ってしまう。そして選ばなかった人生のことを考える”

“働き続けることの先に何があるのか。身を削って働いた先に何があるのだろうか”

 原作にはそんな主人公の心のつぶやきが行間からのぞきます。映画では削られていたバスに乗り合わせた乗客たちのエピソードも出てきますので、秋の夜長に読んでみてはいかがでしょうか。

--

映画に見る社会④『ミッドナイト・バス』 

かりるーむ株式会社(cariroom)
TEL090-8487-4851(鈴木)
TOP http://cari.jp/
空室一覧 http://cari.jp/room/
記事一覧 http://cari.blog.enjoy.jp/
検索ランキング http://hp1.boy.jp/counter/

  

Posted by cari.jp at 11:50

2018年10月07日

塀の中とシャバのあいだのグレーゾーン~映画に見る社会 羊の木

映画に見る社会③『羊の木』 話題の映画から現代社会をウォッチング


【社会復帰のむずかしさ】
今年4月、愛媛県今治市で服役中の受刑者が脱走し、およそ3週間にわたり逃亡を続ける事件が発生しました。

事件そのものもショッキングでしたが、受刑者が一般の作業員にまじって働く作業所が存在することもまた驚きでした。

この作業所は通称「塀のない刑務所」とも呼ばれ、鉄格子や鍵もなく外部からの出入りもわりと自由なのだそうです。

このような施設がつくられるのも、罪をつぐない刑務所を出てきた人々が、なかなか社会に受け入れられない現実を物語っているでしょう。

2018年に公開された映画『羊の木』は架空の小さな町を舞台に、罪を犯した人間をどう受け入れ、ともに生きていくかというテーマをサスペンスタッチで描いています。

ギャグ漫画の傑作『がきデカ』を描いた山上たつひこの原案に『ぼのぼの』のいがらしみきおが作画を担当したコミックの映画化です。


【意表をつく設定】
魚深市という小さな港町に仮釈放中の元殺人者たちが集められ、その素性を隠したまま一般市民にまじり生活させようという極秘の計画が始まります。

犯罪者の更生とともに町の過疎対策も目的としたプロジェクトですが、彼らを受け入れ面倒をみる市役所の職員を錦戸亮が演じています。空港や駅の出口で「ようこそ魚深市へ」というカードを手に元受刑者を迎える姿が、海外旅行の現地ガイドのようです。

受刑者の面々は、頬の切り傷で素性が一発でバレそうな初老の男や、ふだんはおとなしいがアルコールが入ると何をしでかすか分からない男、恋愛のもつれから夫や恋人に手をかけてしまった女たちなど、さまざまです。

ひと癖もふた癖もある元受刑者たちを、田中眠、優香、北村一輝、松田龍平らが演じています。

彼らのほとんどが罪を悔いあらため、新しい環境や職場に馴染もうと努力します。一方で、静かに暮らしたい受刑者たちを挑発し、街に波風を起こそうとする根っからの反社会的性格の持ち主もおり、物語に不穏なムードが漂います。

舞台となった魚深という町は現実には存在しませんが、富山市周辺がロケ地になったということです。どんより曇った空と日本海の鈍色の海が印象的です。


【のろろ祭り】
町には古くから伝わる「のろろ」という神さまがいて、「のろろ祭り」という奇祭も行われています。

お祭りの夜、「のろろ」は従者をしたがえて街を練り歩きますが、その姿を見ることは禁じられています。

元受刑者たちも従者となって、人の絶えた通りを「のろろ」とともに歩きます。彼らにも触れてはいけない過去があり、「のろろ」に通じるタブーな存在といえるでしょう。

人に言えない秘密を抱えて生きるのは苦しみです。優香演じる元犯罪者は痛切な表情で「二度と人を好きになってはいけないのか」と主人公に問いかけます。

それに対する回答が、一般女性と受刑者のあいだに愛の感情が芽生えるエピソードでしょう。ですがその愛は物語を悲劇的な結末へと導いていきます。


【弱者を受け入れるコミュニティ】
殺人に手を染めた凶悪犯とはいえ、出所後の彼らは社会的に弱い立場です。

そんな弱者は、小さなコミュニティでなければ生きてゆけないのかもしれません。逆に言えば、小さなコミュニティには弱者を受け入れるだけの力があるのかもしれません。

高度経済成長と呼ばれた時代は、誰もが地方の小さな共同体を出てひたすら都会をめざしました。匿名性は都会の利点の一つですが、個人を孤独へ追い込む原因にもなります。孤独に陥ったすえ、犯罪にはしる者も出るでしょう。

バブルが崩壊するころからUターン、Iターンなど、大都市から地方に目が向けられ始めました。だれもが「小さなコミュニティ」の大切さを気づき始めたのではないでしょうか。


【終わりに】
 受刑者の方々が社会に復帰するための受け皿づくりには、まだまだむずかしいものがあるでしょう。しかしあらたな試みは始められています。

 今年3月、受刑者専用の求人誌『chance!』が創刊されました(ヒューマン・コメディ社発行)。
 
 雑誌に付いている履歴書には「非行歴・犯歴」や「入れ墨の有無」「指詰めの有無」を書く欄もあるとのことで、一見冗談みたいですが、それだけ差し迫った真剣さも伝わってきます。

 刑務所の中は、けして「塀の向こう側の他人事」ではありません。だれもがふとしたはずみに人生を踏みはずし、お世話になる可能性がないとはいえないのです。

 万一そんな事態になったらどう社会に復帰するか、これらの映画や求人誌のなかに答えが隠れているのではないでしょうか。

--

written by 塩こーじ

かりるーむ株式会社(cariroom)
TEL090-8487-4851(鈴木)
TOP http://cari.jp/
空室一覧 http://cari.jp/room/
記事ランキング http://cari.blog.enjoy.jp/
検索ランキング http://hp1.boy.jp/counter/

  

Posted by cari.jp at 01:53

2018年07月03日

大切なのは血の絆かカネの絆か?~映画に見る社会『万引き家族』

 カンヌ映画祭の最高賞パルムドールを受賞し、一躍話題となった『万引き家族』。
監督の是枝裕和氏はこれまでも『誰も知らない』『そして父になる』など、現代の日本が抱えるさまざまな社会問題を家族という切り口から描いてきました。
新作で監督はどのような家族像を描いているのでしょうか。

現在公開中でこれから観るのを楽しみにしている方も多いと思いますので、後半多少ネタバレがあることをお断りしておきます。

映画はリリー・フランキー演じる父親とその息子がスーパーで万引きをはたらいたあと、道ばたで見かけた幼い少女をまるで捨て猫でも拾う感覚で自宅へ連れてくるところから始まります。

 少女が連れてこられたのは都会の繁栄から取り残されたような古い一軒家。祖母や娘たちが肌を接するように過ごし、暖房も満足でないのか、外にいるのと変わらない厚着姿です。
 この家で新たに加わった少女と家族の計6人での暮らしが始まります。
 
プライバシーも満足に保証されない狭い家の中、一家は折り重なるように寝起きしています。ひとつのコタツをみなで囲み、座りきれなかった少年は押入れの中を自分の部屋のように使っています。

カメラは一人ひとりの表情にクローズアップで迫り、役者もほとんどノーメイクで自分の素顔をさらけだします。皮膚感覚を強調するような映像は、人と人の距離の近さをもう一度取り戻そうという監督のメッセージなのでしょうか。

祖母の年金、建設業に従事する父親、風俗やクリーニング工場で働く娘たち、そして万引き……。
弱者が寄り集まって、それぞれのやり方で得た金やモノを持ち寄り、シェアしあってどうにか暮らしている姿が淡々と、ユーモアをまじえて描かれます。
映画の中に『スイミー』という絵本が出てきます。アメリカの絵本作家レオ・レオニの作品で、小さな魚たちが集まって力を合わせ、大きな魚を撃退する物語は、まさにこの映画のテーマにも通じているでしょう。

ハートウォーミングな空気に満ちたこの作品は、カンヌでの好評を受け、国内でも手ばなしの称賛で迎えられるでしょう。人生の厳しい局面にある人々が、貧しさのどん底にありながら、たくましく明るいリリーたちの一家に勇気づけられるかもしれません。
でも、はたしてこの家族の明るさをそのまま肯定していいのでしょうか。犯罪に手を染めるのがよくないことはもちろんですが、こういった生活に安住してしまうことにも疑問を感じるのです。
ここから多少ネタをバラします。

万引き家族たちの明るさは、もしかしたら自分たちの本当の貧しさを直視していないからではないでしょうか。
彼らには現状に不満を持ち、少しでも変えていこう、良くしていこうという努力が決定的に欠けています。
先のことを考えていないので、突然の出来事にも場当たり的に対応するしかありません。偽りの家族関係は祖母の死や息子の逮捕をきっかけに一転して破綻に向かいます。

彼らは結局、金だけでつながっていたのでしょうか。少年に問い詰められた父親はそれを否定しようとしません。しかし少年もそれを受け入れ、絶望しない。それが本当に自立した個人のありかたなのでしょう。監督のスタンスがここに表明されている気がします。

これまで家族をテーマに映画を撮り続けてきた是枝監督は、実は、家族の絆など信じていないのかもしれません。血縁という絆にすがり続けることの危うさを冷静に見つめ、個人としての自立をうながしているように感じます。

 偽の家族が解体した一方で、少女は本当の家族のもとに戻りますが、その前途はけして明るいといえそうにありません。映画の幕切れは不穏なものが漂います。作品の公開と前後して現実に起きた児童虐待事件を連想せずにはいられません。

『万引き家族』は深刻な社会問題を題材にしながら、上質なファンタジーに仕上がっていると思います。海外で高く評価されたのも、そのファンタジー性ではないでしょうか。ただし心あたたまる幻想に逃避せず、僕たちは現実を直視し続けるべきでしょう。

--

映画に見る社会『万引き家族』 話題の映画から現代社会をウォッチング by 塩こーじ(s.k.)

かりるーむ株式会社(cariroom)
TOP http://cari.jp/
空室一覧 http://cari.jp/room/
記事ランキング http://cari.blog.enjoy.jp/
検索ランキング http://hp1.boy.jp/counter/
記事ライター募集 http://cari.jp/wk/data/writer/
TEL090-8487-4851(鈴木)

  

Posted by cari.jp at 12:32

2018年01月02日

2017/12月 社会科(倫理学)等

仏教の四大聖地:ルンビニー・ブッダガヤー・サールナート・クシナガラ。

四福音書:マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ。

オルテガ:『大衆の反逆』を著し、現代社会を考察したスペイン人哲学者。

人悔やむ(1986)チェルノブイリ原発事故。

『啓蒙の弁証法』:フランクフルト学派第1世代であるホルクハイマーとアドルノの共著。

サイード:『オリエンタリズム』を著し、西洋による植民地支配の正当化を批判したアメリカの思想家。

レヴィナスは、自己意識の中に取り込めない他者(他性)が現れる場を顔という言葉で表現。

カント「汝の意志の格率が、つねに同時に普遍的な法則として妥当しうるように行為せよ」。

カントは、実践理性を働かせることのできる存在を人格と呼んだ。

洞窟のイドラ:性格・環境・身分・経験・教育などから発生する偏見・先入観。

西村茂樹:皇室崇拝を中心とした国民道徳を提唱し『日本道徳論』を著した。

ホリングワース:青年期を心理的離乳と定義した米心理学者。

[プラトン](魂)理性・気概・欲望。(四元徳)知恵・勇気・節制・正義。

[15]志学。[30]而立(じりつ)。[40]不惑。[50]知命。[60]耳順。[70]従心。

(孟子)四端(惻隠・羞悪・辞譲・是非)→四徳(仁・義・礼・智)。

(孟子)五倫:父子の親(しん)、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。

21日(木)

児童虐待や動物虐待の積極検挙と厳罰化を要求致します。

5日(火)

新電力(PPS)比較|電力自由化・省エネで経費大幅削減
http://xn--tfrx75b1oen34bmli.com/

<猫虐待殺傷事件初公判>駆除が一転、猫への復讐と残虐殺害動画が目的に
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171205-00011219-jprime-soci

4日(月)

モラハラ批判が好きな連中は総じてモラハラ気質だと思うのは僕だけではないだろう。あれは近親憎悪なのか?。他者を自分の虚像でラベリングして批判する姿は非常に滑稽だけど政治権力に寄生している連中も多いので笑えない。

3日(日)

ネコの死骸遺棄 奈良県嘱託職員逮捕
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171203-00000514-san-soci

かりるーむ株式会社(cariroom)
http://cari.jp/
空室一覧 http://cari.jp/room/
TEL090-8487-4851(鈴木)

  

Posted by cari.jp at 13:49

2014年08月01日

英語・社会・物理・日本史・2014年07月下旬の板書と日記

[英語]データベース
http://1.cari.jp/?k=%89p%8C%EA&f=k

[社会]データベース
http://0.cari.jp/0/?k=%BC%D2%B2%F1&f=k

[物理]データベース
http://0.cari.jp/?k=%95%A8%97%9D&f=k

[日本史]データベース
http://2.cari.jp/?k=%C6%FC%CB%DC%BB%CB&f=k

oaの発音:原則[ou]。例外は、broad・abroad・broadcast。

owの発音:原則[ou]。例外[au]は、allow・eyebrow・owlなど。超例外は、knowledge。

eaの発音:原則[i:]。例外[e]。超例外[ei]は、break・steak・great。

バウアルダイグラフ:母音2字で1つの音。後ろ読まないで手前を長母音。

表現の自由とプライバシー:三島由紀夫『宴のあと』。柳美里『石に泳ぐ魚』。

サイレントe:語尾のeは発音せず。マジックe:語尾のeが子音の前を長母音に。

可視光の波長:4~7×10^-7[m]

気柱の振動:共鳴しているとき、底を節・口を腹とする定常波が生じている

同位相の場合、2つの波源からの距離の差が、mλ(強め合う)、mλ+λ/2(弱め合う)。

1950年代○○景気開始年:[0]特需。[5]神武。[8]岩戸。

[1951]サンフランシスコ平和条約

[1918-22]シベリア出兵

第1次若槻は金融恐慌で退陣

加藤友三郎・高明両首相は共に在職中死去

嫌な子(1875)大阪会議:大久保・板垣・木戸

固定端反射:上下逆転

嫌やな(1887)保安条例

18世紀後半尊王事件:宝暦事件(9代家重)。明和事件(10代家治)。

以後悔い(1591)る人掃(ひとばらい)令[身分統制令]

以後苦労[1596]サン=フェリペ号事件

1580年代前半の戦い:[2]山崎。[3]賤ヶ岳。[4]小牧・長久手。

石山合戦[1570-1580]

[1560]桶狭間の戦い。[1570]姉川の戦い。

いちころな[1567]稲葉山城攻略。いちころや[1568]信長上洛

31日(木)

Yと起床。朝食は主に前日のおかずの残り(焼き魚以外)。あと、レーズンパン。

自転車でYを送った後、事務所に移動。

レトルトビーフカレーを温めて、自宅に持ち帰り、食べようとしたら、Mがカレーを作っていた。
「夕食だから駄目」というようなことを言われたけど、そのカレーで食べてしまう。
食べつつ、若干現代社会の授業を視聴。その後、事務所に戻る。

Tさん御来訪。所用を済まされ御退出。

現代社会の授業を視聴<アメリカの政治制度など。

30日(水)

車でYを送る。園から少し離れた駐車場に止めさせてもらう。その際、Uさんとお子さん達にお会いする。

事務所に行き、忘れた財布をとってきた後、医療機関Sセンターに行く。

自宅にRと荷物を降ろした後、事務所に行く。

弁当屋で弁当を購入、コンビニKで買い物した後、自宅へ行く。Rは弁当いらないとのことで、事務所に戻り、授業視聴しつつ、昼食。

センター対策講義を視聴。物理・現代社会・英語。

自転車でYを迎えに行った後、帰宅。YをMに預けていこうと思ったらしがみつくので、Yと一緒に車で外出。実家へ行き、おかずをもらう。

帰宅し、夕食。焼き魚、焼き豚、卵焼きなど。

夜遅くイオンに行き、アイス購入<ラムレーズンアイスなど。

29日(火)

自転車でYを送った後、事務所に移動。

Sが帰路につく。仲介Tの男女お二方御来訪(契約書署名・受渡し)。

弁当屋に行き、弁当購入。ダシ巻き卵をおまけしてもらった。コンビニKでのど飴など購入した後、事務所に戻る。

自転車でYを迎えに行き、一旦帰宅。Rが車で待機していた。車で外出。めしやで夕食。

28日(月)

Yに起こされる。エアコンを止め、布団で横になりながらしばらくYの相手をして、時計を見たら7時ちょい過ぎ。

Yを自転車で送った後、事務所に移動。

腹と喉の調子が悪い。腹が痛くて調子が悪いが、下ってはいない。

冷蔵庫に入っていた弁当をレンジで温めてブランチ的時間に食べる。

それからもしばらくお腹の調子が悪かったが風邪薬を飲んだ影響か、昼ぐらいにだいぶ改善。風邪薬の効用にはお腹の改善は書いていないけど。

コンビニでのど飴・納豆巻き・焼きそばロール(焼きそば10%増量)を購入。

事務所に戻り、仕事をして一区切りしてから、昼食(焼きそばパン・納豆巻き)。センター日本史授業の視聴終了(現代史)。

18時過ぎにYを自転車で迎えに行き、一旦帰宅。車でYと実家へ行き、おかずをもらう。

帰宅し、夕食。バターロール、煮物、きゅうりなど。Yはキウイを食べまくり。

関東から原付でS来訪。

24日(木)

起きて目の調子が悪い。前日から目やにも。Yも目やに(と鼻水)の症状があるので感染症か?。

自転車でYを送った後、事務所に移動。曇り空で日よけにちょうどよかった。

23日(水)

自転車でYを送った後、事務所に移動。

ギフトでもらったあんみつを食べる。センター対策講座(日本史)視聴。

特に午後からかなりしんどい。ソファーにたびたび横になる。

22日(火)

自転車でYを送った後、事務所に移動。

21日(月)

Yがデジカメをいじってつかないのを見て「あれぇ、こわれているのかな?」というようなことを言った。疑問形が使えるようになったか・・・という感じ。

以下、日付不明。

Yが「ありのままで」と繰り返していた。「アナと雪の女王」の主題歌の模様。<多分30日頃

  

Posted by cari.jp at 09:30Comments(0)TrackBack(0)