2013年03月02日

[物理/クラシック/歴史/日記] 2013/2/22[金]

7時台に起きる。台所で洗い物をする。ニュース(TV)を視聴<(昨日に続き)3才児餓死関連。

朝食:スライスチーズトースト+ケチャップ。

子Yを床に起き、お手洗いに行くと「ガチャン」という音。
驚いて戻ると子Yがコードを持って傍に電話機(FAX機)が落ちていた。怖い・・。
電話機は床に置くことにした。仕事机をテーブルじゃなくちゃぶ台のような低い机にした方がいいかもしれない。

子Yを膝の上にうつ伏せにのせ仕事。
しばらくぐずったが、寝てくれた。9時台・10時台と仕事が進む。

高校講座物理を再視聴(その回視聴終了)<電磁波等。
コイルの巻数とコンデンサー(蓄電器)の組合せで特定の周波数の交流(電気)のみを流すことができる・・などの内容<特定放送局(チャンネル)の放送を受信できる理由。

[物理]データベース[検索付リンク集]
http://cari.jp/0/?k=%95%A8%97%9D

外国のネットラジオでクラシック音楽を聴いたりしながら仕事。

[クラシック]データベース[検索付リンク集]
http://cari.jp/0/?k=%A5%AF%A5%E9%A5%B7%A5%C3%A5%AF

午前中、子Yが寝ててくれるので仕事はできるが、迂闊に立ち上がれないのでエコノミー症候群になりそう。
後、延々、椅子に座り続けて、重り(子Y)がのっているのでお尻(と椅子の接触部位)が痛い・・というか不快というか・・。

11時15分頃遂に子Yが起きる。それから少しして母来訪。

子Yのおしめを2度程替えて、搾乳を用意し、膝の上で仰向けで哺乳瓶を持たせつつ、仕事。

(正午前後、12時20分頃まで)昼食:ご飯、納豆、野菜・根菜系煮物(前日残り)、鶏肉・野菜のサラダ(+ポン酢)。
母のかけていたラジオを聞き流したりしながら食事。

[ラジオ 放送]データベース[検索付リンク集]
http://cari.jp/0/?k=%A5%E9%A5%B8%A5%AA+%CA%FC%C1%F7

子Yをソファーに座らせ、仕事。
ぐずり始めたので、離乳食をやり、再びソファーに。
ダメだと思ったけど意外にソファーに座っているのに対応してくれている(母が適当に相手してくれている)。

日本史授業を再視聴(その回終了)<前9年・後3年の役など。

[歴史]データベース[検索付リンク集]
http://cari.jp/0/?k=%CE%F2%BB%CB

午前比較的楽だった反動で午後はぐずることが増える。

エイブルさんやヘヤギメさんから電話がかかってきたのでその御対応(空室確認)。

世界史授業を再視聴(その回終了)<李鴻章とその時代(アヘン戦争後の中国清朝史)。

[歴史]データベース[知識一覧/意味/辞書/辞典/事典/参考書/リンク集]
http://cari.jp/z/?k=%97%F0%8Ej

夕方、子Yの活動が活発になったので、講義を視聴しながら、子Yの相手をしたりする。

17時前、母退出。TVでニュースをつけたりしながら子Yに離乳食をあげる。時間帯は不明だが、本日のニュースは、領土問題(北方領土・竹島)、TPPなど。

物理授業を再視聴<半導体。

[物理]データベース[知識一覧/意味/辞書/辞典/事典/参考書/リンク集]
http://cari.jp/z/?k=%CA%AA%CD%FD

18時頃、(眠りは深くないが)子Yが膝の上で寝てくれたので仕事。
膝の上でうつ伏せ・横向きに寝せて背中をポンポン叩いてあげると寝つきやすいようだ。18時半過ぎ起きる。

妻帰宅。夕食:ご飯+しらすふりかけ、ホワイトシチュー。妻はシチューかけご飯。
シチューは母が作っておいてくれたもの。しらすふりかけは実家から先日もらった(缶入りで実家が贈り物としてもらった模様)。

お風呂に入る・・・とお風呂のお湯が紫色(ピンク色)。先に入った人が入浴剤を入れてくれたらしい。

仕事をする。TV「報道ステーション」を途中から見て(ヤマト運輸のサービスを特集)、引き続き、「信長のシェフ」(ドラマ)も流す。

以下、付記(主に時系列記述に馴染まないもの)。

頭の中をジャパネットたかたやタウンワークの歌がしばしば流れた。
昼にジャパネットたかたの歌を歌いつつ、離乳食をあげた気がする。
タウンワークの歌はよく流れた。多分、今日TVのCMで流れたので感染した。

右手親指の付け根が痛い。

ここ何日か右手小指、特に第二関節あたりが荒れている。キズバンドを貼っておいた。
食器洗剤として「肌に優しい弱酸性」のキャッチコピーのものを買ってきたけど逆効果?。
ドラッグストア(B&D)の600ml98円(?)の廉価品だからこだわって買ったわけではないけど。

3才児餓死ニュース:お母さんがフィリピンに帰省中に3才のお子さんが餓死してしまった模様。
子Yの相手をしていると(特にYが笑ったりすると)子Yのことより、不幸な境遇にある子や動物のことに思いを馳せてしまう。

母は子Yを見てよく中国残留孤児のことを思うようだ。
子Yがよく泣いて収拾つかなくなるので、終戦当時だと置いていくのも仕方なかっただろう(置いていく方も置いていかれる方もどんなにつらかっただろう)・・ということらしい。



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