2018年06月15日
現代日本の児童虐待について、機能しづらいシステムとできること
2018年、6月現在、ニュースにおいて5歳の船戸結愛ちゃん(5)が3月に両親による虐待で死亡していたことが伝えられている。
結愛ちゃんは母親の前夫の連れ子であり、父親は血のつながりはない。
父親は結愛ちゃんを叩くなどの虐待を加えた上、1日1食など満足な食事も与えず、結果結愛ちゃんは衰弱死したのである。
亡くなる前に父親によって強制されたしつけと称した文字の書き取りには、幼い子供の悲痛な訴えがつづられていた。
そこには5歳の子どもの文章とは思えないパパ、ママ、いい子にするからもうゆるしてという文字が書かれていた。
このニュースは強い怒りを覚えるものであるが、結愛ちゃん以前にもひどい虐待で命を落とした子供も数えきれないほどいる、そして命が救われても心の傷で苦しんでいる人もまたいるのである。
江戸時代や明治時代にも幼児の虐待と言えることはやはりあった。児童虐待防止法が制定されたのは1933年(昭和8年)のことで、社会で子供の虐待について少しずつ考えられるようになったのは明治中頃のようである。
この児童虐待防止法は主に野外で特殊労働をさせられる子供(門づけ、軽業、雛妓など)のために作られたそうで、その前には工場法、工場労働最低年齢法というものがあり、そこに当てはまらない子供の部分を補う目的であったらしい。
他にも私生児、経済的理由で里子に出された子供を引き取り先が、養育せず死亡させるなどの事例もあり、実子の虐待についても新聞に見つけることができる。
ただし、この時代には虐待する者の理由は一つにはくくれないものの、どうにもならない経済的理由などが大きい要因になっていて、相手の連れ子であるなどの理由も非常に多かった。このように幼児虐待はもう長いこと解決できない忌むべき問題であるが、この時代の人よりも私達はおそらく幼児虐待という言葉を認識しているだろうし、ニュースでなにが起こっているのか知ることも多い。
そういう意味でもこのような虐待事件を起こす両親の罪は昔よりもずっと重いのではないだろうか。
また、そしてそれを伝える報道機関も、ではこれからどうしたらいいか?という対策をわずかながらにも伝えなくてはいけないし、そのような事件が多発していると知る我々にもなんらかの対応が必要になってくるだろう。
虐待の問題はもちろん、ではどうしたらいいのかということを少しでも建設的に考えていかなければ、社会全体もどうにもならないいという、やるせなさや絶望感に包まれてしまうからである。
今できることは189が最善策
近所などの子供の泣き声や大きな物音などから虐待が疑われる場合、かなしいかな日本で現在できる具体的な対策は電話番号189(イチハヤク)つまり地域の児童相談所に連絡することしかできない。
ニュースでは児童相談所同士の連絡が上手いかず虐待死に繋がったことが、また怒りを呼んでいるが、それでもできることはそのような事例の遭遇した際、189に連絡するかどうかを考えることとなる。
189においては、基本匿名の連絡となっているが、児童相談所の職員が追加の情報を求めて氏名や住所、子供の年齢、どのようなことが起きていると推測されるかなどを聞くことはある。
連絡する時は、音などの場合は、明らかに普通でない激しい鳴き声、叫び声、罵声、怒鳴り声、子供が一晩中泣く、物を壊す、叩きつける音、視覚ではいつも同じ服、ご飯を食べていないように見えるなどが基準にはなるが、少しでも疑われる時は通報してほしいと児童相談所の所長は言う。
そこまで知られていないことだが、児童相談所の通報というのは罰する権限ではなく、知った上でサポートし、対策することなのだという。
しかし、このような連絡はあっても、189番の電話は途中で切られてしまうことが8割以上なのだそうだ。
これは相手に誰か知られないとしてもご近所づきあい上きまずい、間違っていたら?若者が言う「ちくる」みたいな行為に感じられるなどの誰しもが思うであろうことが理由となっている。
このように189の電話システムは、連絡しづらさを感じるところもあり、穴のあるしくみでもある。
しかし、やはり現段階ではこのしくみに頼ることぐらいしか、幼児虐待に対する一般市民のできることが見つからない。
自分自身のふがいなさを感じてしまうものの、やはり今、私ができることと言えばそのような場面に遭遇した時、189に電話するか否か、判断について考えることである。
また、職業柄、ライターとして189がどんなものか伝え、微力ではあるが、児童虐待が通報されやすいようにすることぐらいかもしれない。
児童虐待を減少させることはもちろん、それは情報にさらされる社会で、知るという責任を負う自分自身の救いのようなものであるとも言えると思う。
参考ページ、引用文献
https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20170816-00074094/
http://www.js-cs.jp/wp-content/uploads/pdf/journal/19/cs2013_08.pdf
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知ることができる時代に発生する責任とは 今できることは悲しいかな189 by スペクトル
[鈴木社長のコメント]
現在の日本では同居親優先・母親優先により、別居・離婚により特に別居父親が子供と断絶させられることが多い。自分の子供の情報は何も入らず、一般人と同様に虐待死のニュースで自分の子供の死を知らされるなんてことが起こっています。別居親のことを知る権利と逃げる自由さえ保障されていれば助かったであろう子供も多数存在します。諸外国は共同親権が大勢であり、離婚後単独親権という片親独裁システムを採っている国は稀です。離婚後単独親権は民法で定められていますが、憲法上も問題が多い制度であり、廃止するか死文化されるべきと思われます。
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結愛ちゃんは母親の前夫の連れ子であり、父親は血のつながりはない。
父親は結愛ちゃんを叩くなどの虐待を加えた上、1日1食など満足な食事も与えず、結果結愛ちゃんは衰弱死したのである。
亡くなる前に父親によって強制されたしつけと称した文字の書き取りには、幼い子供の悲痛な訴えがつづられていた。
そこには5歳の子どもの文章とは思えないパパ、ママ、いい子にするからもうゆるしてという文字が書かれていた。
このニュースは強い怒りを覚えるものであるが、結愛ちゃん以前にもひどい虐待で命を落とした子供も数えきれないほどいる、そして命が救われても心の傷で苦しんでいる人もまたいるのである。
江戸時代や明治時代にも幼児の虐待と言えることはやはりあった。児童虐待防止法が制定されたのは1933年(昭和8年)のことで、社会で子供の虐待について少しずつ考えられるようになったのは明治中頃のようである。
この児童虐待防止法は主に野外で特殊労働をさせられる子供(門づけ、軽業、雛妓など)のために作られたそうで、その前には工場法、工場労働最低年齢法というものがあり、そこに当てはまらない子供の部分を補う目的であったらしい。
他にも私生児、経済的理由で里子に出された子供を引き取り先が、養育せず死亡させるなどの事例もあり、実子の虐待についても新聞に見つけることができる。
ただし、この時代には虐待する者の理由は一つにはくくれないものの、どうにもならない経済的理由などが大きい要因になっていて、相手の連れ子であるなどの理由も非常に多かった。このように幼児虐待はもう長いこと解決できない忌むべき問題であるが、この時代の人よりも私達はおそらく幼児虐待という言葉を認識しているだろうし、ニュースでなにが起こっているのか知ることも多い。
そういう意味でもこのような虐待事件を起こす両親の罪は昔よりもずっと重いのではないだろうか。
また、そしてそれを伝える報道機関も、ではこれからどうしたらいいか?という対策をわずかながらにも伝えなくてはいけないし、そのような事件が多発していると知る我々にもなんらかの対応が必要になってくるだろう。
虐待の問題はもちろん、ではどうしたらいいのかということを少しでも建設的に考えていかなければ、社会全体もどうにもならないいという、やるせなさや絶望感に包まれてしまうからである。
今できることは189が最善策
近所などの子供の泣き声や大きな物音などから虐待が疑われる場合、かなしいかな日本で現在できる具体的な対策は電話番号189(イチハヤク)つまり地域の児童相談所に連絡することしかできない。
ニュースでは児童相談所同士の連絡が上手いかず虐待死に繋がったことが、また怒りを呼んでいるが、それでもできることはそのような事例の遭遇した際、189に連絡するかどうかを考えることとなる。
189においては、基本匿名の連絡となっているが、児童相談所の職員が追加の情報を求めて氏名や住所、子供の年齢、どのようなことが起きていると推測されるかなどを聞くことはある。
連絡する時は、音などの場合は、明らかに普通でない激しい鳴き声、叫び声、罵声、怒鳴り声、子供が一晩中泣く、物を壊す、叩きつける音、視覚ではいつも同じ服、ご飯を食べていないように見えるなどが基準にはなるが、少しでも疑われる時は通報してほしいと児童相談所の所長は言う。
そこまで知られていないことだが、児童相談所の通報というのは罰する権限ではなく、知った上でサポートし、対策することなのだという。
しかし、このような連絡はあっても、189番の電話は途中で切られてしまうことが8割以上なのだそうだ。
これは相手に誰か知られないとしてもご近所づきあい上きまずい、間違っていたら?若者が言う「ちくる」みたいな行為に感じられるなどの誰しもが思うであろうことが理由となっている。
このように189の電話システムは、連絡しづらさを感じるところもあり、穴のあるしくみでもある。
しかし、やはり現段階ではこのしくみに頼ることぐらいしか、幼児虐待に対する一般市民のできることが見つからない。
自分自身のふがいなさを感じてしまうものの、やはり今、私ができることと言えばそのような場面に遭遇した時、189に電話するか否か、判断について考えることである。
また、職業柄、ライターとして189がどんなものか伝え、微力ではあるが、児童虐待が通報されやすいようにすることぐらいかもしれない。
児童虐待を減少させることはもちろん、それは情報にさらされる社会で、知るという責任を負う自分自身の救いのようなものであるとも言えると思う。
参考ページ、引用文献
https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20170816-00074094/
http://www.js-cs.jp/wp-content/uploads/pdf/journal/19/cs2013_08.pdf
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知ることができる時代に発生する責任とは 今できることは悲しいかな189 by スペクトル
[鈴木社長のコメント]
現在の日本では同居親優先・母親優先により、別居・離婚により特に別居父親が子供と断絶させられることが多い。自分の子供の情報は何も入らず、一般人と同様に虐待死のニュースで自分の子供の死を知らされるなんてことが起こっています。別居親のことを知る権利と逃げる自由さえ保障されていれば助かったであろう子供も多数存在します。諸外国は共同親権が大勢であり、離婚後単独親権という片親独裁システムを採っている国は稀です。離婚後単独親権は民法で定められていますが、憲法上も問題が多い制度であり、廃止するか死文化されるべきと思われます。
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Posted by cari.jp at 08:19