2018年11月10日
静かな日常にひそむ悪意~映画に見る社会⑤『バッシング』
【またも起きた海外人質事件】
シリアで長期間にわたり拘束されていたフリージャーナリストが解放され、このほど帰国しました。しかし国内では自己責任論のもとに激しい批判が起きているようです。
このニュースを聞いて小林政広監督の映画『バッシング』を思い出しました。
2005年に製作されたこの作品は、前年に発生したイラク人質事件がモデルとなっています。第6回東京フィルメックス最優秀作品賞・グランプリを受賞、第58回カンヌ映画祭にも出品されるなど高い評価を受けました。
【突然の解雇から始まる物語】
冒頭、ホテルでベッドメイクの仕事を手慣れた手つきで淡々と進める主人公・高井有子。熱心に働く彼女が突如上司から解雇を言い渡されるところから映画は始まります。
その後、突然道ばたで男たちに囲まれ、コンビニで買ったおでんを路上にぶちまけられてしまいます。
彼女には海外の危険な紛争地域へボランティアに出かけ、武装集団に拘束された過去があります。さいわい無事に解放され帰国しますが、そこには自己責任を問う人々のすさまじいバッシングが待っていました。
世間の誹謗中傷から逃れ、静かな生活を守ろうとする有子とその両親。三人を取りまく日常を中心にストーリーは進みます。
【すさまじいバッシングの実態】
彼女が両親とささやかな暮らしを送る団地の一室にも嫌がらせの電話がかかってきます。「自己責任という言葉を認識しろ」「殺されて帰ってくればよかった」等々……。彼女はたまりかね、窓から電話機を投げ捨てます。その行為は、世間とのかかわりを断つことを暗示しているようです。
主人公の有子を演じる占部房子は抑えた演技ですが、その目は理不尽な世間へ激しい憎悪をたぎらせています。
海べりに建つ古い団地。厳しい自然を感じさせる北の風景。頭上を覆うどんよりとした曇り空は、有子たちを覆う不穏な空気をあらわしているようです。
【広がる波紋】
世間からのバッシングを避け、家にこもりがちになった有子は「私のしたことってそんなに悪いこと?」と母親に訴えます。
父親は解体工場で働いていますが、ここにも苦情の電話やメールが殺到し、上司から遠まわりに辞職を勧められます。
「娘は被害者なのにどうして責められなければならないのか」訴える父親が悲痛です。
久しぶりに会う恋人からも、自分のことしか考えていないと有子は責められます。市役所勤めの恋人は「国じゅうのみんなに迷惑をかけた。なぜ関係のない国に施しをしなければならないんだ」と彼女に詰め寄ります。
恋人の意見はそのまま世間の見方を代表していて、つまり恋人もバッシングする人たちの側なのです。「みんな」という幻想、「国」という幻想を疑うこともなく彼は日々を過ごしているのです。
そんな彼氏に「同じ日本語をしゃべっているとは思えない」と有子は反抗し、二人は疎遠になっていきます。
結婚し、平和な家庭におさまった友人たちからは「あなたは私たちと世界がちがう。私たちにはできないことをしていて立派だ」と言われます。その口ぶりは尊敬しているようで何ひとつ有子の思いを理解していません。
しだいに孤立を深めていく有子の一家。そして頼れるはずの家族もついに……
【他人事ではないバッシング】
ネット上での何気ない不用意な発言が炎上するなど、有名無名を問わずバッシングは僕らの身にいつ降りかかるとも分かりません。
一度スケープゴートとして血祭りにあげられてしまったら、その当事者にできることは、時間が経過し世間が忘れてくれるのを待つことだけです。
『バッシング』で職場を追われた父親は酒におぼれながら「つらいからなあ、待つっていうのは」とつぶやきます。
重みを背負ったままひたすら耐え忍び、やり過ごすしかない、人生にはときにそんな時期もあるのかもしれません。
同じような進展のない日々が繰り返され、悶々とした日常の中で有子は海の向こうに思いをはせます。そこには彼女がボランティアとして汗を流し、初めて「他人から必要とされる」経験をした異国があります。
最後に彼女が選んだ決断は……。
クライマックス、母に決意を告げる有子は、それまで暗い色の服装が多かったのに一転して白いセーターを着ています。彼女の純粋な気持ちが、その色に表現されているようです。
【地味だがクセになる小林政広作品】
『バッシング』の上映時間は1時間半。それほど長くありませんが終始一貫して重々しいムードが漂っています。
ドラマチックな見せ場はほとんどなく、セリフも少なくて非常に地味ですが、それがかえって何の変哲もない日常にひそんでいる無数の悪意を想像させ、効果を上げている気がします。
高齢者や認知症の問題を描いた『春との旅』『海辺のリア』をはじめ、小林政広の作品はどれも地味な描き方で、やや忍耐が必要とされるかもしれません。
けれど観ているうちに映画の中を流れる時間としだいに同化してしまい、自分が登場人物たちと同じ空間にいるような気持ちにさえなってきます。人によっては病みつきになるかもしれません。
【キリストの残した言葉】
イラクの事件でも今回の場合でも、被害者は人質となった心の傷に加え、無事帰国できても世間から叩かれ、二重の苦しみを受けなければなりません
今回解放されたフリージャーナリストは「拘留生活は地獄だった」と語っていますが、帰国しても別の地獄が待っているように思います。
たしかに彼らにも軽率な面や判断ミスがあったかもしれません。でも、生きていて一度も間違いをおかさない人間が存在するでしょうか。
「罪を犯したことのない者だけが石を投げよ」という言葉があるそうです。不貞を犯した女を石打ちの刑をしようとする人々にキリストが言ったという聖書のエピソードです。
バッシングという言葉の石つぶてを投げる前に、僕たちは自分自身をかえりみる必要があるかもしれません。
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映画に見る社会⑤『バッシング』 話題の映画から現代社会をウォッチング
written by 塩こーじ
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シリアで長期間にわたり拘束されていたフリージャーナリストが解放され、このほど帰国しました。しかし国内では自己責任論のもとに激しい批判が起きているようです。
このニュースを聞いて小林政広監督の映画『バッシング』を思い出しました。
2005年に製作されたこの作品は、前年に発生したイラク人質事件がモデルとなっています。第6回東京フィルメックス最優秀作品賞・グランプリを受賞、第58回カンヌ映画祭にも出品されるなど高い評価を受けました。
【突然の解雇から始まる物語】
冒頭、ホテルでベッドメイクの仕事を手慣れた手つきで淡々と進める主人公・高井有子。熱心に働く彼女が突如上司から解雇を言い渡されるところから映画は始まります。
その後、突然道ばたで男たちに囲まれ、コンビニで買ったおでんを路上にぶちまけられてしまいます。
彼女には海外の危険な紛争地域へボランティアに出かけ、武装集団に拘束された過去があります。さいわい無事に解放され帰国しますが、そこには自己責任を問う人々のすさまじいバッシングが待っていました。
世間の誹謗中傷から逃れ、静かな生活を守ろうとする有子とその両親。三人を取りまく日常を中心にストーリーは進みます。
【すさまじいバッシングの実態】
彼女が両親とささやかな暮らしを送る団地の一室にも嫌がらせの電話がかかってきます。「自己責任という言葉を認識しろ」「殺されて帰ってくればよかった」等々……。彼女はたまりかね、窓から電話機を投げ捨てます。その行為は、世間とのかかわりを断つことを暗示しているようです。
主人公の有子を演じる占部房子は抑えた演技ですが、その目は理不尽な世間へ激しい憎悪をたぎらせています。
海べりに建つ古い団地。厳しい自然を感じさせる北の風景。頭上を覆うどんよりとした曇り空は、有子たちを覆う不穏な空気をあらわしているようです。
【広がる波紋】
世間からのバッシングを避け、家にこもりがちになった有子は「私のしたことってそんなに悪いこと?」と母親に訴えます。
父親は解体工場で働いていますが、ここにも苦情の電話やメールが殺到し、上司から遠まわりに辞職を勧められます。
「娘は被害者なのにどうして責められなければならないのか」訴える父親が悲痛です。
久しぶりに会う恋人からも、自分のことしか考えていないと有子は責められます。市役所勤めの恋人は「国じゅうのみんなに迷惑をかけた。なぜ関係のない国に施しをしなければならないんだ」と彼女に詰め寄ります。
恋人の意見はそのまま世間の見方を代表していて、つまり恋人もバッシングする人たちの側なのです。「みんな」という幻想、「国」という幻想を疑うこともなく彼は日々を過ごしているのです。
そんな彼氏に「同じ日本語をしゃべっているとは思えない」と有子は反抗し、二人は疎遠になっていきます。
結婚し、平和な家庭におさまった友人たちからは「あなたは私たちと世界がちがう。私たちにはできないことをしていて立派だ」と言われます。その口ぶりは尊敬しているようで何ひとつ有子の思いを理解していません。
しだいに孤立を深めていく有子の一家。そして頼れるはずの家族もついに……
【他人事ではないバッシング】
ネット上での何気ない不用意な発言が炎上するなど、有名無名を問わずバッシングは僕らの身にいつ降りかかるとも分かりません。
一度スケープゴートとして血祭りにあげられてしまったら、その当事者にできることは、時間が経過し世間が忘れてくれるのを待つことだけです。
『バッシング』で職場を追われた父親は酒におぼれながら「つらいからなあ、待つっていうのは」とつぶやきます。
重みを背負ったままひたすら耐え忍び、やり過ごすしかない、人生にはときにそんな時期もあるのかもしれません。
同じような進展のない日々が繰り返され、悶々とした日常の中で有子は海の向こうに思いをはせます。そこには彼女がボランティアとして汗を流し、初めて「他人から必要とされる」経験をした異国があります。
最後に彼女が選んだ決断は……。
クライマックス、母に決意を告げる有子は、それまで暗い色の服装が多かったのに一転して白いセーターを着ています。彼女の純粋な気持ちが、その色に表現されているようです。
【地味だがクセになる小林政広作品】
『バッシング』の上映時間は1時間半。それほど長くありませんが終始一貫して重々しいムードが漂っています。
ドラマチックな見せ場はほとんどなく、セリフも少なくて非常に地味ですが、それがかえって何の変哲もない日常にひそんでいる無数の悪意を想像させ、効果を上げている気がします。
高齢者や認知症の問題を描いた『春との旅』『海辺のリア』をはじめ、小林政広の作品はどれも地味な描き方で、やや忍耐が必要とされるかもしれません。
けれど観ているうちに映画の中を流れる時間としだいに同化してしまい、自分が登場人物たちと同じ空間にいるような気持ちにさえなってきます。人によっては病みつきになるかもしれません。
【キリストの残した言葉】
イラクの事件でも今回の場合でも、被害者は人質となった心の傷に加え、無事帰国できても世間から叩かれ、二重の苦しみを受けなければなりません
今回解放されたフリージャーナリストは「拘留生活は地獄だった」と語っていますが、帰国しても別の地獄が待っているように思います。
たしかに彼らにも軽率な面や判断ミスがあったかもしれません。でも、生きていて一度も間違いをおかさない人間が存在するでしょうか。
「罪を犯したことのない者だけが石を投げよ」という言葉があるそうです。不貞を犯した女を石打ちの刑をしようとする人々にキリストが言ったという聖書のエピソードです。
バッシングという言葉の石つぶてを投げる前に、僕たちは自分自身をかえりみる必要があるかもしれません。
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