2017年03月20日

2017/03上旬・世界史

歴史データベース
http://kblog.mediacat-blog.jp/e120961.html

憎い(291)八王の乱開始

スタイン:東トルキスタンを探検し、敦煌の仏画・仏典・古文書類を持ち帰ったハンガリー系イギリス人探検家

ヘディン:楼蘭の遺跡を発見したスウェーデン探検家

リヒトホーフェン:シルクロードと命名したドイツの地理学者

張角(太平道):黄巾の乱

玄菟郡(げんとぐん):前漢武帝が鴨緑江中流に設置し、高句麗に滅ぼされた

推恩制:前漢武帝の王領分割相続制

[B.C.]残酷(359)商鞅変法提案

長江文明:三星堆→河姆渡→良渚

マトゥラー:グプタ朝期にヒンドゥー化した純インド風仏像があるデリー南方遺跡

南伝仏教の経典はパーリ語

ブラフミー文字:インドでインダス文字に次ぐ古い文字

パーンディヤ朝:マウリヤ朝から独立を維持していたインド最南端の王朝

[パキスタン]プルシャプラは現ペシャワール

ハラッパ:パキスタン(パンジャブ地方)

エウセビオス:王権神授説につながる神寵帝理念を唱えた

サドカイ派:復活や天使を認めないユダヤ教の党派

ハドリアヌスがパンテオン(万神殿)を再建

[単性説が影響]エジプトのコプト教。レバノンのマロン派。

身去れ(330)コンスタンティヌス帝遷都。身雑(332)コロヌス移動禁止。

ルクレティウス:『物体の本性』でデモクリトスの原子論から唯物論を展開

プロティノス:新プラトン主義者。ト・ヘン(一者)からの流出を唱え、キリスト教神学に影響。

ソリドゥス金貨はビザンツ帝国ではノミスマ金貨と呼ばれた

メトイコイ:アテネの在留外人

アリストファネス:『女の平和』『雲』を著した喜劇作家

クセノフォン:アテネ出身の軍人・歴史家。著「アナバシス」「ギリシア史」「ソクラテスの思い出」。

バクトリア王国はスキタイ系遊牧民族トハラの侵入で滅んだ

9世紀キュリロスがギリシア正教布教のためキリル文字考案

サルデス:リディアの都。サイス:エジプト26王朝の都。エクバタナ:メディアの都。

弱(48)東匈奴が南北に分裂

8日(水)

日常奪われ、補償もなく 犯罪被害者に“二重の苦しみ”
https://news.yahoo.co.jp/feature/533

昼食:唐揚げ弁当、インスタント味噌汁(わかめ・すりごま)。

夕食:弁当(ハンバーグ・白身魚フライ)。

世界史授業を視聴。古代ローマ・インドあたり。

お酒を飲み始める。日本酒のスポーツドリンク割り、麦茶、チーズ、えびせんべい。

huluでプライベートライアンを視聴。

5日(日)

外注でお願いしておいたITシステムをいじる。

(珍しいことではないのだが)夕方、最近よく飲む総合栄養飲料を飲んでちょっと気持ち悪くなる。
高カロリーなど高栄養の影響といったところか?。過剰摂取に気を付けないといけないかもしれない。

半額祭というのもありモール内のスガキヤで夕食<ラーメン単品。

猫の皮下注射のため実家に行き、そのままTVを視聴。
「ダーウィンが来た」(ハリセンボン・ハリネズミ)の途中からと大河ドラマ(歴史物)「女城主直虎」(桶狭間の戦い)を視聴。主人公の父井伊直盛が死去。

世界史備忘:アブラハム→イサク→イスラエル→ユダ

4日(土)

10時近くに起床。

朝食:味噌煮込み。前日の(僕は食べていない)残り。

車で外出。税理士さんのところへ行き、戸籍等必要書類のお届け。

3日(金)

夜、寝る前にトムハンクス主演のフォレストガンプを視聴。
トムハンクス主演で英語音声・字幕、日本語吹き替えが揃っているものが結構ありそう。
Catch me if you
can(キャッチミーイフユーキャン)とかプライベートライアンとかターミナルとか。
同じくトムハンクス主演のキャストアウェイを見始めたが途中でやめて就寝。寝つきが遅く朝方にようやく寝る。
トムクルーズ主演物も似た(英語学習向き)傾向がある。

1日(水)

9時前に起床。

仕事を一段落させ10時台頃に朝食(赤飯・惣菜パック)。

母性優先の原則廃止要求(子供の自由保障要求)2017/3上旬
http://cari.blog.enjoy.jp/b/2017/03/20173-69ca.html

  

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2017年02月19日

トルコ民族の歴史を論ぜよ[世界史8]

トルコ民族は元々アルタイ山脈付近を原住地としていた中央アジアの遊牧民であると考えられる。
その後、中央アジアはトルコ系の突厥が覇権を持つが、唐に吸収される。
次に、トルコ系でマニ教を国教とするウイグルが覇権を持ち、ウイグルは唐の内乱である安史の乱の平定に活躍する。
中央アジアでは初のトルコ系イスラム王朝であるカラハン朝が999年にサーマーン朝を滅ぼし、この一帯がトルキスタンとなる。
中央アジアで11世紀に勃興したトルコ系イスラム王朝のセルジューク朝はバグダードに入城し、スルタンの称号を得て、中東の覇権を握ることに成功するが、ビザンツ帝国との抗争をきっかけに十字軍の来襲を招くことになる。
アム川上流のバクトリア地方(アフガニスタン付近)ではトルコ系のガズナ朝が勃興し、インド進出の足掛かりを作り、1206年にマムルーク(トルコ人傭兵)が北インドに奴隷王朝を建国。以後、(ロディー朝を除く)デリー=スルタン朝・ムガール帝国とトルコ民族が(北)インドを支配していく。
1250年にはエジプトでアイユーブ朝に代わりマムルーク朝が成立、1260年にはモンゴルを撃退し、アッバース朝の王族を匿い、カリフ的正当性を継承していく。
1299年にはトルコ系のオスマン帝国が成立する。1402年アンカラの戦いでトルコ系のティムール(帝国)に敗れ、オスマン帝国は一旦中断するが、その後復活し、小アジア(アナトリア高原)からバルカン半島・中東・北アフリカと版図を広げていくことになる。
1453年にビザンツ帝国、1517年にエジプトのマムルーク朝を滅ぼす。また、1529年第一次ウィーン包囲・1538年プレヴェザ海戦に勝利するなど隆盛を極めたが、1683年の第二次ウィーン包囲の失敗以後、次第に勢力を弱めていく。
第一次世界大戦で敗北し、セーブル条約を締結。オスマン朝は滅亡し、小アジアにはアンカラを首都にケマル=パシャを中心としてトルコ共和国が成立し、現在に至っている。

(注)この記事は歴史好きの答案。模範解答かは不明。間違いもあるかも。

  

Posted by cari.jp at 00:55Comments(0)TrackBack(0)