2018年03月26日

3つのウール(羊毛)が残酷な理由 壮絶な羊の生涯

もし犬や猫といったペットにしたら逮捕されるような違法行為が、畜産の世界では当たり前の日常として繰り返されています。羊毛産業も例外ではありません。

ウールは羊を殺さないから羊を傷つけてないとか、伸びすぎた毛を刈ってるだけと思っている人も多いです。しかし現実は違います。

以下、羊毛の生産が盛んなオーストラリアを例に説明しています。現在、羊毛生産量の世界第1位は中国です。動物福祉の整備がまだこれからというこの国では、羊はもっと酷い扱いを受けているかもしれません。


1.毛刈り
本来、羊毛は羊の体を暑さ寒さから守るための物です。

メリノ羊は人為的な交配により、皮膚のシワをたくさんつくり表面積を増やして羊毛の生産率を高めた品種です。不自然に過剰な羊毛のせいで、暑さで死ぬ羊もいる程です。

https://youtu.be/-zHjY9Pc0Nk

これはオーストラリアの毛刈りの様子を動物愛護団体が撮影したものです。羊の顔や頭をバリカンやハンマーで殴る、床に頭を踏みつける、首を何度もひねって骨折させ殺してしまう、首や足に自分の体重をかけてバウンドする、目を突くと、やりたい放題です。ときどき耳、尾、乳、睾丸をバリカンでそぎ落としてしまいます。裂けてしまった皮膚は、無麻酔で針と糸で縫い合わせます。また毛刈りの24時間前から羊を絶食させ、抵抗する体力を弱めます。

毛刈りの仕事は、刈った毛の量による出来高払いも多ようです。他の畜産業も同様ですが、低コスト突き詰めたシステムが、動物への手荒な扱いや暴力行為を助長しています。


2.ミュールジングと断尾

羊の糞尿が羊毛に染み込むと、皮膚のヒダにハエが卵を産みつけ、孵化した幼虫が羊の組織を食べます。そのため羊牧場では、子羊のお尻から足にかけて広範囲の皮膚をナイフで切り取ります。これをミュールジングと言います。もちろん羊に多大な苦痛を与えます。

さらに尾も切断し、耳には穴をあけ、オスの子羊には痛み止めなしで去勢手術します。

ミュールジングはイギリスで既に禁止されています。ユニクロ、H&M、無印良品はミュールジングをした羊の毛の使用を段階削減または廃止しました。ニュージーランドはメリノ業界が数年前、自主的な廃止を決定しました。

しかし帝国書院によると、2015年時点で日本の羊毛は、ほぼ100%海外からの輸入です。輸入先は1位が中国で全体の30%、2位ニュージーランド17%、以降オーストラリア、マレーシア、台湾と続きます。ですからニュージーランド以外の国、つまり私達が日本で目にする約7割の羊毛は、ミュールジングをした羊の毛である可能性があります。

強調したいのは、それがミュールジングした羊の毛であろうと無かろうと、他にあげた「改良」「毛刈り」「去勢」「断尾」「輸送」などで、羊に多大な苦痛を与えていることに変わりはありません。


3.輸送
年を取って羊毛が取れなくなった羊は、中東または北アフリカへ船で食肉用として生きたままで輸送されます。イスラム教徒はイスラム教の流儀で殺した肉(ハラル・ミート)でなければ食べれないからです。羊の他に、ヤギ、牛なども輸送されています。

羊たちは満員電車並みに混み合った船内に押し込まれたまま、数日~数週間を餌も与えられず、糞尿の上で暑さ寒さに晒されながら耐えます。弱って倒れた羊は、他の羊に何度も踏みつけられます。輸送時に多くの羊が病気や飢えで死にます。

死への過酷な旅は船から降りても続きます。動物福祉基準の無い国で、市場に来た人々が羊の耳や前足をつかんで引きずり、物のように車のトランクに放り込んだり、荷台にロープでくくり付けて持ち帰って行きます。そのあと首をナイフで切って殺して食べます。


散々搾取されたあげく、羊も結局最後は寿命をまっとうすることなく処分されるのです。今は動物を犠牲にしない、暖かくおしゃれで安価な素材がたくさん出回っています。私達がウールを買えばウール産業を支えることになります。毛皮同様ウールは、時代遅れの悪趣味なファッションとして世の中に認識されるべきではないでしょうか。

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3つのウールが残酷な理由 ウールが毛皮同様に残酷な3つの理由とは by
chickpea

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Posted by cari.jp at 12:45

2017年02月24日

[世界史10]

「ムハンマドなくしてカールなし」の視点から西欧中世世界成立を論ぜよ

 7世紀にムハンマドが始めたイスラム教は勢力を拡大していき、661年に成立したウマイヤ朝はジブラルタル海峡を通り西ヨーロッパに侵入。イベリア半島の西ゴート王国を滅ぼし、その後も勢力拡大を図るが、732年トゥール・ポワティエ間の戦いでフランク王国に敗れ、ピレネー山脈がイスラム教圏とキリスト教圏を分ける境界となる。
 また、従来キリスト教圏のビザンツ帝国領などであったシリア・北アフリカなどはイスラム圏となり、キリスト教圏は地中海交易を縮小せざるを得ず、水運による物資の移動が限られた自給自足的な内陸農業国家としての性格を強めていく。
 このような人や物資の移動が限られ、イスラム勢力やノルマン人など外圧の中で、人々は結束する必要に迫られた。土着の人々は土着の領主と土地を媒介とした封建的主従関係(契約関係)を結び、領主は国王と主従関係(契約関係)を結び、ローマ教皇等宗教勢力と国王等政治勢力は宗教的権威と政治的庇護を相互に与えあう封建的関係が形成していく。この一環として800年にカール大帝はローマ教皇レオ3世から西ローマ皇帝として戴冠される。
 このようにして西ヨーロッパの中世世界が形作られ、成立していったと考えられる。

(注)これは歴史好きの答案。模範解答かは不明。間違いもあるかも。

  
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2017年02月22日

第1・3回十字軍とイスラム王朝の関係を論ぜよ[世界史9]

 イスラム王朝であるセルジューク朝の勢力拡大でキリスト教国であるビザンツ帝国が圧迫され、ビザンツ皇帝はヨーロッパのキリスト教世界に救援を要請。ローマ教皇ウルバヌス2世は1095年クレルモン宗教会議を開き、キリスト教国はイスラム圏へ第1回十字軍を派遣し、イェルサレム王国が建国される。
 その後、イスラム教国であるアイユーブ朝のサラディンはイェルサレム王国を攻撃し、その領土の大半を占領。これに対し、ヨーロッパ諸国はアンジュー朝のリチャード1世などを中心に1189年第3回十字軍を派遣し、アイユーブ朝と交戦した。
 これら十字軍はキリスト教圏(ヨーロッパ)とイスラム教圏の政治・軍事的緊張をもたらすと共にヨーロッパの目が中東・北アフリカ方面に向かい、地中海交易・文化的交流等を促進するきっかけにもなった。

(注)この記事は歴史好きの答案。模範解答かは不明。間違いもあるかも。

  
Posted by cari.jp at 17:35Comments(0)TrackBack(0)