2017年02月19日

トルコ民族の歴史を論ぜよ[世界史8]

トルコ民族は元々アルタイ山脈付近を原住地としていた中央アジアの遊牧民であると考えられる。
その後、中央アジアはトルコ系の突厥が覇権を持つが、唐に吸収される。
次に、トルコ系でマニ教を国教とするウイグルが覇権を持ち、ウイグルは唐の内乱である安史の乱の平定に活躍する。
中央アジアでは初のトルコ系イスラム王朝であるカラハン朝が999年にサーマーン朝を滅ぼし、この一帯がトルキスタンとなる。
中央アジアで11世紀に勃興したトルコ系イスラム王朝のセルジューク朝はバグダードに入城し、スルタンの称号を得て、中東の覇権を握ることに成功するが、ビザンツ帝国との抗争をきっかけに十字軍の来襲を招くことになる。
アム川上流のバクトリア地方(アフガニスタン付近)ではトルコ系のガズナ朝が勃興し、インド進出の足掛かりを作り、1206年にマムルーク(トルコ人傭兵)が北インドに奴隷王朝を建国。以後、(ロディー朝を除く)デリー=スルタン朝・ムガール帝国とトルコ民族が(北)インドを支配していく。
1250年にはエジプトでアイユーブ朝に代わりマムルーク朝が成立、1260年にはモンゴルを撃退し、アッバース朝の王族を匿い、カリフ的正当性を継承していく。
1299年にはトルコ系のオスマン帝国が成立する。1402年アンカラの戦いでトルコ系のティムール(帝国)に敗れ、オスマン帝国は一旦中断するが、その後復活し、小アジア(アナトリア高原)からバルカン半島・中東・北アフリカと版図を広げていくことになる。
1453年にビザンツ帝国、1517年にエジプトのマムルーク朝を滅ぼす。また、1529年第一次ウィーン包囲・1538年プレヴェザ海戦に勝利するなど隆盛を極めたが、1683年の第二次ウィーン包囲の失敗以後、次第に勢力を弱めていく。
第一次世界大戦で敗北し、セーブル条約を締結。オスマン朝は滅亡し、小アジアにはアンカラを首都にケマル=パシャを中心としてトルコ共和国が成立し、現在に至っている。

(注)この記事は歴史好きの答案。模範解答かは不明。間違いもあるかも。

  

Posted by cari.jp at 00:55Comments(0)TrackBack(0)